お母さんも精一杯生きてきた
もうすぐ母の日ですね・・
カウンセリングやセッション、講座を通して色々なトラウマを抱えている方が多い、
いつも思います
トラウマや心の傷、時折浮上する悲しみの原因として、
幼いころからの親子関係、特に母親の子育て方がそれらの発端だとしている視点が多々あります
お話しながら、正直私も心が苦しくなるんですけどね
母親、ですから 3人の子育てをしてきた自分を顧みます
ましてや、離婚経験もあり、通常の家庭とは違う環境の中で子供たちにきっとたくさんの悲しみ、寂しさを与えてしまってきたことでしょう
働きながら母としての日常だけでなく、社会人として、時には女性として精一杯、怒涛の日々でした
子供たちとの会話や起こった細かい出来事なんて記憶の彼方、いやほとんど覚えていない(笑)もちろん印象に残っている出来事はありますけど
とにかく、生活すること、生きること、女性としての悩みを抱えて受け入れなきゃいけないこと、など、もうしっちゃかめっちゃか(笑)
言い訳?かもしれませんが、そういう月日年月を過ごすことも必要だったのだと思います
善きお母さんでいたかった・・もっとちゃんと色々してあげたかった・・と
今でもたくさんたくさん後悔し、懺悔し、取り戻せない年月を思い、苦しく自分を責める時も多々ありますが
子どもたちが大人になって、私も今のような仕事を通じて学んできて理解したこと
「それぞれが、それぞれの魂」「親子であっても、独立したそれぞれの魂」の学びがある、
ということです
母として、人生をおくってきて、今在る自分
子どもとして、父や母に、誰かに、育ててもらって、今在る自分
それぞれが、その時点での、今の自分とどう向き合い、どう生きていきたいのか?
どんな未来でありたいのか?を模索しながら
ひたすら精一杯生きていく
しかない・・し、それ以外の旅路はない んですよね
自分が今辛い、悲しいのは、誰かのせい 何かされてきたことのせい にしていたら
もっともっとその旅路は苦しいし謳歌できないのだと思います
トラウマとして依存している自分、がいるのではないか?と
何かから逃げようとしている自分、がいることを認めたくないんじゃないか?と
そして
父も母も その時その時点で
今の自分と同じように精一杯頑張って生きてきたんじゃないか?
と
じゃ、もしそうであったなら、そうだとしたら、今の自分から伝えたいことは?
辛かったの
哀しかったの
寂しかったの
でも、お母さんもそうだったのかもしれないね
お父さんもそうだったのかもしれないね
みんな誰もが心から愛してほしかったし、愛したいと思っていたのかもしれないね
頑張ってきたそれぞれの魂に、有難う、を伝えてあげてほしいなぁ・・
全ての解放の始まりは「赦し(許し)」からだと私は思っています
とてもとても難しいことかもしれないけれど
「何かを許すことが出来た時から、自分の癒しは始まる」と信じてみてはどうかな?と
そして、今、命がある、ということが全てではないかと
ちゃんと面と向かって「有難う。大好き。」を言いたくても言えない
でも、聞こえていてほしい
きっと伝わるはず
霊界に逝ってしまった母の写真に向かっての「有難う」だとしても
ねぇ、ママ、いつも有難う 今までも、そして、これからも・・
と、母の日、父の日を前に、私からの提案でした
今日も有難うございます
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